香月牛山 原著/雨宮良三 訳編
B5判/172頁
※発行:創医会
(お取り寄せに数日いただく場合がございます)
1779年、後世派である香月牛山の著で、107項に及ぶ種々な疾患の治療法を、懇切に説いている名著。本書は、原典の意図を正確に読者に伝えるために意訳したものである。
[香月牛山について]
香月牛山は通称啓益、名は則賞(一説に則真)、号は牛山、貞庵、被髪翁と称した。
明暦二年(1656年)に筑前国遠賀郡植木に生まれる。
香月家は400年間にわたり香月城主として続いた家柄だったが、牛山より四代前の時に小早川隆景に征せられ野に下った。
牛山は若い頃、貝原益軒に儒学を学び、また豊前中津侯の藩医鶴原玄益に医学を学んで業とし、30歳で豊前
中津侯小笠原氏の侍医となる。
その後、44歳で京都に出て開業し、大覚親王の病気を見事に治したことから名医として名を馳せた。
61歳の時、小倉侯小笠原氏に招聘されて小倉に住居を移し、1740年85歳の天寿を全うした。
墓は北九州市小倉北区の円応寺と、八幡西区香月の吉祥寺
にある。
牛山の医術はいわゆる後世方派に属し、特に李東垣を遵奉した。
著書には『牛山方考』『牛山活套』『婦人寿草』『老人必用養草』など多数がある。
B5判/172頁
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1779年、後世派である香月牛山の著で、107項に及ぶ種々な疾患の治療法を、懇切に説いている名著。本書は、原典の意図を正確に読者に伝えるために意訳したものである。
[香月牛山について]
香月牛山は通称啓益、名は則賞(一説に則真)、号は牛山、貞庵、被髪翁と称した。
明暦二年(1656年)に筑前国遠賀郡植木に生まれる。
香月家は400年間にわたり香月城主として続いた家柄だったが、牛山より四代前の時に小早川隆景に征せられ野に下った。
牛山は若い頃、貝原益軒に儒学を学び、また豊前中津侯の藩医鶴原玄益に医学を学んで業とし、30歳で豊前
中津侯小笠原氏の侍医となる。
その後、44歳で京都に出て開業し、大覚親王の病気を見事に治したことから名医として名を馳せた。
61歳の時、小倉侯小笠原氏に招聘されて小倉に住居を移し、1740年85歳の天寿を全うした。
墓は北九州市小倉北区の円応寺と、八幡西区香月の吉祥寺
にある。
牛山の医術はいわゆる後世方派に属し、特に李東垣を遵奉した。
著書には『牛山方考』『牛山活套』『婦人寿草』『老人必用養草』など多数がある。
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